“リアル・ブルーロック” 興國高校サッカー部のススメ

2. ストーリー視点 「プロ入りを目指す選手と監督」の熱さと冷静さ

続いての魅力は、彼ら興國高校サッカー部に所属する選手たちは高校の部活動に所属しながらも、皆「プロサッカー選手になる」という夢を持って日々励み、これが物語の通奏低音とも言えるテーマとなっていることである。

プロ入りを目指す高校生の物語、というと前述の「アオアシ」が思い出されるが、アオアシがJクラブの下部組織(ユースチーム)からプロを目指す物語であるのに対して、本作(ともはや呼んでしまうが)はその逆、高体連・高校の部活動からプロを目指すという、ある種あの大ヒット作品のカウンターパートともいえる存在なのである。

ポジションのコンバートは当たり前

大前提として、幼少期から所謂「サッカーが上手い」とされる子は、おしなべて皆FWなど前線のポジションを志向しがちで、その中でもほんの一握りの才能を持った選手が、まずはプロチームのユースチームに中学年次などでスカウトされ入団していくことになる。

高校年次にあがって高体連からプロを目指そうという選手の多くは、中学年時にユースチームで芽が出なかったか、あるいはユースチームへの入団すら叶わなかった選手たちである。それでもプロになりたいという強い気持ちを持った選手たちが、興國高校などのプロ輩出実績のある高体サッカーチームへと入団する。

しかし彼らは前述のように、従来プレーしていたポジションではプロサッカークラブの眼鏡にはかなわなかった、その時点ではいわば「選ばれなかった」側の選手たちである。

そのため漫画「アオアシ」では劇的に描かれたポジションのコンバートが、本作ではもはや当たり前のように行われる。

セレッソ大阪ユースから高校3年時に興國高校サッカー部に編入した坂本稀吏也は、それまでは184cmの長身と強靭なフィジカルを武器に、FWとしてプレーしていた。しかし戦術理解とアジリティに拙くFWとしてのプロ入りは難しいと判断され、徐々にポジションを下げていく。多くのポジションを試した結果、最終的にはセンターバックのポジションまでコンバートされるも、ここで驚くべきフィットを見せ、目覚ましい成長を遂げた結果、高校3年時の終わりにはモンテディオ山形への入団を決めた。

主人公がポジションコンバートを言い渡される場面は、漫画「アオアシ」では名シーン

このように、興國の選手たちはそれぞれが「プロ入り」という夢のために全力で、そのためにはプライドも信念も捨てる覚悟でサッカーに取り組んでいる。

挫折も、困難も厭わない。そんな選手たちだけが描き出せる「熱さ」が、この作品には存在する。

「涙のロッカールームなんていらんねん 俺らには」

そして同時に、彼らの夢に本気で向き合っているのは、選手だけじゃない。

チームを率いる監督も、選手の夢に対して常に本気だ。

監督は、自分の夢を追っていない。常に選手の夢に向けて、最善を尽くすのである。それが象徴的だったシーンが、高校サッカー選手権の全国大会にチームが初めて出場した年、一回戦で埼玉の強豪 昌平高校に敗れた後のロッカールームでのやりとりだ。

あのさ、湿っぽいのやめよう
なんなん 出し切ってないから泣いてんの?出し切ったやろ
その負けて泣くのだけはやめようや
負けて泣くのが興國らしいんですか?
それをみんな期待して見に来てるんですか?違いますよね?
相手の方が上手かったんですよ、通過点で
ここでサッカー辞めんの??みんな 違うでしょ
この悔しさで上手くなるために来てるんちゃうの?

出れてないやつのこと考えろよ、出たやつが泣くな しょうもない
そんなんしに来たんちゃうねん
新しい扉を開いたのは紛れもなく君らなんやから 胸張れ
ただ足りなかっただけや 技術が 俺はそう思ってんで
君らは本当に素晴らしい
初めてなんやから ここ(全国)まで来たのは
だからもっと上手くなれよ
悔しかったらもっと上手くなれ 泣く前に

ここに最後のために来たわけじゃないやろ
もっと上手くなる 分かった?
じゃあ一回締めよう

そんな 涙のロッカールームみたいなのはいらんねん 俺らは

自分たちは目の前の大会や試合で、誰かに誇れるような戦績を、輝かしい戦績を残すためにやっているんじゃない。

目の前の敗けも、悔しさも、その全てを燃料にして、プロになれ。

(自身としても初であった)大舞台での指揮を終えた直後、敗北に下を向く選手に対し、冷静に、けれども真摯に、こんな言葉を伝えられる指揮官が、どれだけいよう。

全員が本気で夢を追う熱さと、その背後に併せ持つ冷静さと、そのバランスこそが、本作品のストーリーを語る上での最大の魅力なのである。